• 山田

リハビリの目標設定って難しい、ってお話




作業療法、理学療法、言語聴覚療法の目標設定は、なかなかに難しいものです。

急性期や回復期では、どちらかというと、「病気、怪我などで身体に障害を負ってしまい日常生活が上手く送れなくなった方」を対象に、「障害の軽減」、「ADL動作の再獲得」などが目標に上がっていますよね。

しかし、生活期で対象者を見ていると、「どんどん良くなる」ことを支援するよりも「現状を維持する」ことや「出来るかもしれないけどあえてそうではないことを目標とする」場合だってあると思います。


月に2回、臨床指導に行っているクリニックでの経験からです。

言うまでもありませんが、私たちの仕事は目の前にいる「個人」に向けられます。その「個人」は、しかし、家族の一員でもあります。「個人」のために家族に負担を強いるのか、「家族」のために「「個人」に我慢を強いるのか。いや話はそんなに単純ではありません。


お母様の流した涙は「苦悶」の表れでもあるはずです。

人に寄り添う…。難しいです…。

先天的に心身に障害を負われたかたは、急性期や回復期でお目にかかる、「早く良くなって退院しようね」という状態ではない場合が多いです。

この症例は、難病の一つ「先天性無痛症」の方です。温痛覚が無いので、痛みを感じません(発汗も障害されています)。


大腿骨骨折を中学生の時に経験しています。(もちろん小さな骨折は限りなくあったはず)

レントゲンでも、「うわ、骨細っ!」ってくらい貧弱な骨で、「これはちょっと転倒すれば折れちゃうなあ」って状況。筋肉もやせ細り、両下肢の短下肢装具を装着され、立ち座りは自力でできるものの「歩行」までとなると短距離でも危なっかしい様子です。

しかも、骨盤には形成不全があり、大腿骨頭が脱臼位にあります。もちろん、本人が「痛みを感じない」からこの状態でも少しだけ歩けるのですけど。


この状態そのままでは、実用的に歩けそうにはありません。


身体状況だけの問題だったなら、「脱臼を整復して筋力つけてバランスのトレーニングしたら歩けるようになるかもしれないね」というレベルなのですけど…。


一度、拝見させていただいた時には、「脱臼は修正可能」でした。ただし、筋力の問題や股関節を固定的に使って座る癖がついていたので「日常的にどこまで脱臼しないで維持できるかは分かりません」というお話をお母様にさせていただきました。


その時にはお母様も「え?脱臼治るのですか?!」と嬉しそうに声を上げておいでだったのですが、その次に来られて医師から「脱臼の程度と今後の見通しを立てたいので今一度レントゲンを撮らせて欲しい」とお願いされると、その顔が曇ります。「いえ、あの、少し様子を見たいのですけれど…」。お母様の目には涙が滲んでいます。


「あれ?嬉しそうではないなあ。どうしたのかな?レントゲンを撮るのが嫌なのかなあ」。医師ともいろいろ意見交換をしてみたのですが、どうにも腑に落ちません。


今後、どういう方向でリハを続けていこうか思案の2週間でした。


でもね、はたと気づいたのですよね。


お母様が言っていた言葉に。「骨折を治すために入院していて、その間に家を建て直したのです。転倒しても大丈夫なようにマットを引いて、廊下もできるだけ狭くして倒れそうになったら手で支えられるように…」。その時も、お母様の顔はとても辛そうでした。




そう、お母様は「転倒したらまた骨折しちゃう」ということを心配されていたのです。でも、本人の「歩けるようになりたい」という希望を叶えてもやりたい。知的機能が働いて、「ここは危ないから車椅子にしとこう」とか「転ばないように注意しながら歩く練習をしよう」という自制心が働くのだったら、きっとお母様の心配は半減したことでしょう。

でも、「一度はハシャギだすと止まらない程度の知的機能」では、誰かがブレーキをかけてあげなくてはいけない。リハビリでは、「歩く」ことを促され、でも実生活で「歩いてはいけない」なんてこときっとお母様にはいえやしない、ってことに気がついたのですよ。


私たちは、「個人」がよくなることを支援する職業だけに、「良くできる可能性」を探りますが、「その結果、あまり思わしくない方向に行くかも」ということはあまり考えません。


でも、このケースでは、「歩けるようになったら転倒と骨折のリスクが増加する」ことがお母様を悩ませていたのですよね。お母様も、どうしたらいいのだろう、ってそうとう悩まれたと思いますよ。


そこで、プロフェッショナルである医療チームは決断します。

「脱臼は積極的には治さない。認知機能にアプローチして自制や自己管理ができるようになったらその時に考える。しかし、医療者として脱臼を放置はできないので本人には知らせずに内緒で改悪だけは防ぐよう、姿勢と筋緊張にはアプローチする」。


このことをお母様に伝えると、そのお顔には笑顔が戻りました。「脱臼を治して頂いたときは、スゴく楽になった、と言っていたので、治して欲しいのです。でも、認知機能から介入してくださるのですよね。本人が自覚して、脱臼にならないような動き方を学んでくれるように促してくださるのですよね。ありがとうございます。お願いします。」



もちろん、これが最適な答えだったのかは誰にもわかりません。でも少なくともみんなを笑顔に出来る方向性を見いだせたとは思っています。



そんなこんな、目標を設定するって大変なんだけどさ。

でも様々に、選択肢を提案できるって大切なことだと思うのですよ。

でね、選択肢を提案出来るためには、「これは出来る、でもやらない」って判断が出来る程度には、「自分には何ができるのか」を知っておく必要があるのです。

「何もできない自分」では、選択肢さえ提案できないもんね。



だから、「出来るようになる」のは私たちの達成目標じゃなくって、当たり前の事なんだよなあ……。


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